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千虫譜 (蜜蜂の項)
栗本丹洲著 文化8年(1811)

千虫譜は日本で最初の昆虫図鑑です。虫ばかりでなくカエルそのほかもいっぱい載っています。ここでは貴重なミツバチの所だけとします。
興味のある方はこのリンク(国立国会図書館)をクリックして和漢の千虫譜を検索して下さい

蜜蜂に刺された時は蜂蜜を塗ると良い(今度試してみようかな)とか、裸で巣を切り取っても蜂に触れなければ刺されず、などと書かれています。

図:樽巣箱と覆い
転載元:国立国会図書館ホームページ(画面複製には国立国会図書館の許諾が必要です)

解読文

1〜2ページ半までは千虫譜について解説の文です。
草や鳥、獣などの書は有るが虫の書が無いので栗本丹洲は自ら多くの虫を捉へ、写し取り図説とした書・・・・以下略。

蜂蜜本草を考るに四種あり石蜜、木蜜、土蜜、家蜜なり。薬用に供するに木蜜の上品なるに優るはなし。大木根に近き處、空虚(ウロ)の内に房を作り、南方暖所に小穴を開て出入す、是、深山の人跡なき所に多し、今、人家徃々養ふもの原来是を取る家蜜と云、紀州、熊野にて多く養て産業とす。 山蜜と呼もの最上品なり、其他諸州より出す、土佐より出るもの好品とす、年を経て白砂を凝結(コリカタ)不壊(コワレズ)、味厚く甘美なり。新鮮なるもの梅花気をなし餘味(ヨミ)(後味)言外に溢る、又肥の前州鍋島大村産のもの厚味絶品にして毎年幕府に貢献あり。御用に備へらるゝものなり、凡そ蜜蜂の蜜を作るは春末より秋末まて出て花蘂(カズイ)(ハギ)に塗り付て花の精液を含み来て房中につめ(カモシ)て蜜となす、酒をかもすが如し。

冬月寒風を恐れ房中に蟄居す、其間は(ナメ)て醸して貯置たる蜜を糧に充食ふ、蜜は蜂の粮也、故に蜜を割取るに糧を残して取盡すべからす、取尽す時は餓死(ウエシヌ)るに至る。 其蜜を作るに高山の大樹、年久しく自然と内朽空(ウチ、クチ、ムナ)しくなるたる者(物)、或は大石の間に巣を結ひ経年なるを(キコリ)者見付け置て冬初め木を切り、或は石を穿(ウガチ)て其巣を出し蜜を得るもの、所謂(イワユル)木蜜、石蜜なり、是を総して山みつと云。宗セキ(人名:そうせき)の説中に既に山蜜の名あり、是至りて上品のものなり又、人家に蜂を養ひ置て採たる蜜をかひ蜜と云、是即ち家蜜なり、其蜂の花蘂及び津液(シンエキ)(唾液)を採運びて醸成すること、山蜜に異なることなし、然れも家蜜は年々にこれを採り又は花蘂も深山のものと異なる、故にや其蜜薄く山蜜の濃さにして味厚美なるにしかす。

家蜜の房内處々に滴りたまるを採り用ゆる者(物)最上品也、然れも是物多く得難し故に房を三分一残して蜂の粮とし三分二を採り、布の袋或は大なる竹籬(イカキ)(竹ざる)に盛り其下に磁器をうけ置き暖所に安して太陽に晒す時は自を蜜溶化(トカ)し滴下する者(もの)を取る、垂れ蜜と名けて最上とす、是生蜜なり、此の品冬春を経て色白く凍り凝結して砂の如し。所謂白蜜或は白砂蜜是なり、又蜜ある巣を大釜に入れ煎じて熱に乗して絞り採りたるをしぼり蜜と云、是には蜂子も雑り色赤く濁る故に次品とす。所謂熟蜜なり、熊野蜜は此の二品にすぎず。

凡そ蜂の蜜を醸すこと百花の清潔なる精粋なる津液を用て作り出せるなり。其の醸すに石潔のものを用ゆる古説あれ共(ハナハダ)虚誕(キョタン)(でたらめ)の説なりと貝原翁、これか為に究を訴る説あり見るべし。

凡そ蜜蜂春の末、分れ飛て一處に(ムラガ)(マリ)の如くになりて人家の(ヒサシ)或は木枝に下垂せることあり、これ親蜂に付て子蜂の分るゝなり、大概八十八夜より四、五日の際、夏至の頃まてに分るは(サガ)よし、秋分ることあり性宜(サガヨロ)しからず、堂へ入養ふと(イエ)ども居つかずして逃走ることあるものなり。 夏の土用過て分るも時節はづれゆへ益なしと云、(イワン)や秋月分るとものをや。

蜂を養ふに木にて造る(ハコ)を作る、是を(ドウ)と云、高さ一尺一寸、横一尺二寸、(オクユキ)さ一尺四寸と云、これ定法なり、開き蓋にす、小孔を下に穿つ、下の方に五つ並へて開くべし、下に一つ開く又横にほそ長く五處ほどあかりとりの穴を(アケル)をよしとす。其穴黄大豆(ミツマメ)(原文にルビが振ってあったので)の大さにしてよし、蜂出入自由なるほどにして(ヨロ)し(良し)、穴大なれば熊蜂入て蜜蜂を喰殺し蜜を吸取る如、是の事あれば(アツマ)れる衆蜂舊(旧)巣を捨去ることまゝある事なり。

蜂の分る時、簇り聚りたるを(ヤシナワ)んとするに箱、或は酒樽の内に蜜をぬり蜂を箒にて掃ひ落し入置は一夜にして隅の処に巣を(カク)るものなり。前に圖(図)する処のものは桶なり。寒冷になれば(コモ)にて外を包み南をうけ(受)て暖処に置べきなり。箱或は桶の内へ新に分る処の蜂を入畢(イレオワ)らは(入れ終わらば)内へ皿に蜜を入、箱中に入置き小孔までも残りなく杉葉を外よりさして塞ぐべし。両三日も居なじみたるを伺て杉葉を取去べし。筑前にては稲草(ワラ)にて編笠の如き形のものを作り内の上の処に酒を塗り蜂の多く簇り居たる枝上に(オオ)ひ(覆い)置き下より竹葉にてオフ(走旱 そうにょうにひでり[追う])ときは皆其中に入る。一蜂入る時は衆蜂尋ねて皆入る。是を採下して仰き置き其上に箱を蓋ひテヌグイ(巾白 巾へんに白)にて(ツツ)み、一夜おく時は皆箱中に上り入るとなり。

蜜蜂の巣を截採るに時あり秋の土用明けてより採りて宜しとす。大抵其蜂の多寡を見、或は其巣の軽重を試みて見計らひて採るへし。大抵半分は残し半分取るべし三分の一を残しては蜂多けれは春月まての粮不足のこともあるべきなり。其年により雨天つゝくか又は風あらく吹、寒威早く至りて花の少き年は巣の孔に蜜をつめぬことあり、空巣(カラス)と云、蜜をつめたる巣を飴巣と云。此の空巣は用捨なり、取去べし、これを截採るに()あり(クロガネ)にて作る一尺六寸其(サキ)幅一寸三分刃あり、箱のすみの処をつき切るものを突切(ツキキリ)と云、又鍬の形をなすものこれも柄の長さ一尺六寸さき刃あり、これも一寸三分あり、いつれも木にて柄をつけ握るに便とす、又此形にてさきのとかるものあり、これも端の曲れる処より尖る処一寸三分あり、以上二本を掻切(カキキリ)と名つく、其外に庖丁と云もの今俗に薄刃と云ものゝ如し。此物専ら用をなす、凡そ巣を截採るには秋の土用後七日八日十日頃によろし、天気快晴の日中に宜し、大抵月初め十日頃より廿日頃まて、あしゝ月夜なればなり、廿四五日頃より翌月五六日頃まで截採るによろし。暗夜なればなり、これ如何となれば月夜は夜中遊ひて花巣のまゝに置なり、暗夜は花巣少くして蜜多し、花巣とは花中の黄蘂(キノシベ)を房孔内へつめてこれを醸す事をせず只黄粉のまゝにてあるものを云。闇夜は夜も外に紛れ遊ぶことをせず、夜中(モッパラ)一に巣につき居て黄蘂を蜜に醸成す事多しと云。此説古人の未識(知識が無い)処にして先輩書冊にも載ざる処なりこれ。

南紀公西園(紀州徳川家の西園のち赤坂離宮)中に養畜する処の蜂蜜を截採るを親を観る、其時庭方隆蔵と云もの語るを聞るまゝを珍事なれはここに記す。

其蜂の堂の扉を開き右を切んとするに、右の方箱の上を軽く(タタ)くに皆左の方へ聚りよる、右の方巣のあらはに見ゆるやうになるを截採るに労なし、又左の方を截んとするも前の如くにす、群蜂怒て人をオフ(追う)、又は(サス)べきと兼て覚悟せしに意外に穏平にして尋常の蜂類とは殊異なり、其截る人衣を腰に纏ひ袒裼(タンセキ)(肌脱ぎになること)露躰して截断するにいさゝかも毒螫の(ウレイ)なし、其人云ふ衣の間に蜂の入るを(オス)か痛むる時は遂に螫ものなり、人を螫時は其蜂立処に斃(死)す、是によりて人を螫す事を好まずと云、(オソ)(恐)るるに不足(タラズ)ものなり。 (モシ)螫れたりと虫ども他の蜂の如き腫痛はなきものなり、其毒甚だしきものに(アラ)す、もし螫るゝものは直に生蜜を塗るべし、立々(タダチ)に(当て字)其痛止(イタミヤミ)腫消して安し。

凡そ普世(あまねく世に)通用する丹園(薬処)の薬剤皆此蜂蜜を煉去(ネリサリ)(カス)製する処なり、天下人民此物に頼て無類の好薬を用ゆることを得ることなり。世人此物の裨益(ヒエキ)(助け)を被るもの(アゲ)て数ふべからず。去ながら蜜はいかなるものなりと云ことを研究するものなし、只味の甘美なるものと云ことを知るのみなり。因て(ヨッテ)まゝに開巻第一に此物を(エガク)(図)、又功徳を述記して、其神霊不測の妙あることを弘く人に示すのみ。

凡そ蜂にて薬末を煉んとするに其侭(ソノママ)にては用ひ難し、此を煉る法あり、分量を糧(誤字 量)りて蜜を陶器に入れ鍋に沸湯(ニエユ)をわかして入れ重湯(ユセン)(湯煎)にて煎し沸し上んとするとき浮沫上に厚くなりたるを紙に浸し竹箆(タケヘラ)にてすくひ去り、其蜜を冷水に(シタタリ)て珠をなして不散を(スグル)(優れる)とす、これにて丹薬を煉り、又壺に納め貯うべし、百六十匁を煉り浮沫を去り、百二十匁を得べし、如是(カクノゴトク)すれば年を経ても不壊(コワレズ)となり。

江都官家に蜂堂を庭上に設て蜜を採て(タワムレ)とし給ふことあり。堂内部局を構へ其上の奥所蜂王の座あり、群臣次第に列座して自然に官職あるか如し、下に聚花の會場あり、大巣を綴る是蜜の在處なり、堂の下邉(シモベ)小竅(コアナ)並へ開て五門(ゴモン)(鎌倉時代以降、関白に任じられる五つの家柄)に(ナラビ)す、其竅外に五員(五匹?)の蜂卒(下級の蜂)竝坐(ナラビザ)して各門を守護す、来蜂の貢花を(ミル)に群蜂早晨(ソウシン)(早朝)に堂に出て午時(正午)に花蘂及び精液を含み来て衛門に入る時、監蜂是を検察して入らしむ、若花を含まつして入来るものあれは厳く(キビシク)逐還す(オイカエス)、入れず争ひ拒く(フセグ)者あれは群蜂これを刺殺す、或は風雨堂を侵し又雑人(ゾウニン)(身分の低い者)の毎に堂を窺ふ事あり、或は糞穢(フンエ)(おわい)の気(匂い)堂に逼り(セマリ)、或は堂衛破壊することあり、大黄蜂(オオスズメバチ)又は蟻(くも)等の堂中に聚まることあり、新に喪を受たる人、月信婦人(月の物?)等の近き視るか如き群蜂悉く(コトゴトク)去りて不還(カエラズ)(モシ)新に堂衛を築て清潔なる時は即還り至ることあり、或は事に触て満堂の群蜂尽く(コトゴトク)死することもまゝある事なり。故に堂を設くるの家慎戒(戒慎(カイシン)?)すへし、各々の勤行(ゴンギョウ)の役あること右の圖を以て察すへきものなり。唐山にも其説あり左に()り。

「参考漢文が転載されている、詳しくは原文参照 5ページ」

凡そ蜂蜜年によりて得ること多寡あり天気和順(ワジュン)(穏やか)にして翌春梅花の多く開て津液の多き年は吉とす蜜多し、又風雨ふりつゝき霜威早く至り花少き年は精粋の液汁も少し、凶とす。其凶年には無能の黒蜂多く雑り生することあり。鳥黐(トリモチ)を以てさし取尽く(コトゴトク)殺すべし。土蜂にあやかりて此のもの生するものなり、群臣より君命を守り、子より父の令を受け孜々(シシ)(熱心に励む)として蜜を醸成すことを勤め其(ナリ)を守りて昼夜劬辛(クシン)すること人倫企及所(クワダテオヨブトコロ)にあらず、其醸しなす蜜を貯るや一半(いっぱん)(半分)は人の為に最初より儲けなすか如し、有情万霊の長たる人倫堅く兼約(ケンヤク)(前約束)して一年二年は人の為に辛苦すべし、長くつゝくことあるべからず。是によりて此物の端奇たるを知る。因て(ヨッテ)此虫譜の巻首に載て弘く人に知らしむるのみ。

「参考漢文が転載されている、詳しくは原文参照 6ページ」

蜜蜂の巣は竪に立て(カクル)、其間にしきりの柱と云てつなぎあり、こゝには取て横より見たる図なり、新に構る巣は白し、黄なるきみを帯ふ、未たみつをつめざるを空巣(カラス)と云、蜜をすでにつめたるをアメ巣(アメス)(アメ→米へんに台)と云、両面より蜜をつめたるものなり。 一年ほど経たる巣は、かは色に変ず、蝋を製すれば新巣は色白く中は微黄を帯、久年(キュウネン)(長い年月)の者(物)はやけて老虎黄色(カバイロ)になるなり。

蜜蝋これ蜜蜂の巣より採たる蝋なり、新造の巣は色白し、即白蝋となる。経日累月の者色黄なり、暦年陳久の者は老虎黄(カバイロ)なり。 採る法、巣を手砕し銅鍋に入、水を等分に入れ文火(ブンカ)(弱火)に煮箸にて(ミダ)すれば、巣尽く(コトゴトク)洋化(溶化の当て字)す、別の磁器に冷水を盛り置き馬尾籠(ケスイノウ)(毛水嚢・馬の尾の毛で底を編んだ、目の細かい(フルイ))を用て右の水中へ漉入れは蝋水上に凝浮をすくひ聚めて薬のかゝりたる磁碗に入れ湯煎にすれば凝結して一塊となる。疫科用て膏に加ふるものなり。

西書云、和蘭(オランダ)ワスと云、羅甸(ラテン)セーラと云、セーラアルハと云は新しくわか蜂の作る巣にて取るを云、アルハは白色の義(意味)なり、和蘭にセーラヒルギ子アと云、處女(処女)蝋の義なり、人作を用ひずして作出すもの、手いらずの意也、又人作を以て晒して黄を白にするもの多し、羅甸にセーラフラハと云、此舊(旧)蜂房より取る處のものを指て云、フラハと云は黄と云こと也、其主治患処(シュジカンショ)(主に治療する患部)腫痛を消散せんと欲せは黄蝋を用ゆへし。清涼にせんと欲せは白蝋を用ゆへし、黄は諸般の硬膏類に用ひ白は芳香軟膏(ニホイアブラ)に用ゆ、又封蝋(フウロウ)(マツヤニ、カイガラムシの蝋、蜜蝋などを混合した蝋状の物質)に五彩を加へ用ゆ、又硝子瓶口を封するものを製す、栓蝋と名ずく。

「参考漢文が転載されている、詳しくは原文参照 6ページ」

おわり
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